大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和24年(控)1583号 判決

控訴人 被告人 山崎太市 外二十一名

弁護人 上村進 外三名

検察官 酒井正己関与

主文

被告人山崎太市を懲役五月 同水口平を懲役五月 同川上蕭を懲役五月 同佐藤栄作を懲役四月 同吉田常世を懲役三月 同福原一三を懲役三月 同藤井正二を懲役四月 同星野郁五郎を懲役三月 同原豊吉を懲役三月同野上松三郎を懲役三月 同小林二三男を懲役三月 同牧口直栄を懲役二月 同小西志郎を懲役二月 同伊藤佐一郎を懲役二月 同佐藤享平を懲役二月 同畑政二を懲役二月 同斎藤初太郎を懲役二月 同広井芳蔵を懲役四月 同石坂周吉を懲役四月 におのおの処する。

但し、被告人山崎太市、水口平、川上蕭、佐藤栄作、藤井正二、広井芳蔵並に石坂周吉に対しては此の裁判確定の日から各二年間、その余の前記被告人等に対しては此の裁判確定の日から各一年間、それぞれ右刑の執行を猶予する。

訴訟費用のうち、原審証人佐藤田次、同古塩修、同水無瀬徳行、同細貝信三及び西村三郎に支給した分並に当審証人細貝信三及び西村三郎に支給した分にかぎり被告人山崎太市、水口平、川上蕭、佐藤栄作、吉田常世、福原一三、藤井正二、星野郁五郎、原豊吉、野上松三郎、小林二三男、広井芳蔵並に石坂周吉の連帯負担とする。

被告人佐藤重夫、同羽吹昭三、同米岡宗次は孰れも無罪。

被告人佐藤重夫、羽吹昭三、米岡宗次を除く爾余の被告人に対する本件公訴事実のうち(一)被告人山崎太市、水口平、川上蕭、佐藤栄作、藤井正二、吉田常世、福原一三、星野郁五郎、原豊吉、野上松三郎、小林二三男、広井芳蔵及び石坂周吉が他の数十名の者と共謀の上昭和二十三年三月三十一日新潟県北魚沼郡小千谷町大字稗生所在理研工業株式会社小千谷工場建物に故なく侵入し爾来同年五月三日建物明渡等に関する仮処分の執行あるに至るまでこれを不法に占拠し、その間団体の威力を用いて、右会社の業務を妨害したとの点(昭和二十三年七月十六日附公判請求書記載第一の事実)(二)被告人山崎太市、川上蕭、佐藤栄作、藤井正二、広井芳蔵及び石坂周吉が共謀の上、昭和二十三年四月十日頃から同月三十日頃迄の間九回に亘り前記会社所有の機械類横フライス盤二台ほか合計二十八点を窃取したとの点(前同公判請求書記載第二の事実)(三)被告人山崎太市、川上蕭、佐藤栄作、藤井正二及び広井芳蔵等が共謀の上同年五月五日前記工場第二工場に於て同会社所有の自動車三台を窃取したとの点(前同公判請求書記載第三の事実)並に(四)被告人山崎太市、水口平、川上蕭、佐藤栄作、藤井正二、広井芳蔵及び石坂周吉等が共謀の上 同年五月十一日頃仮処分執行洩れの同第五工場に於て同会社所有の機械類二十六吋帯鋸機八台ほか角ノミ機等十台を窃取したとの点(前同公判請求書記載第四の事実)はいずれも無罪。

理由

理研工業株式会社(以下会社と略称する)は昭和十六年七月一日関係七会社が合併し資本七千万円を以て、製鋼、鍛造、圧延、発条リング、工作機械、製材機械、木工機械等の製造販売を営業目的として発足し、本社を東京都港区芝浜松町三丁目五番地に置き各地方に十八の工場を有するもの、理研工業株式会社小千谷工場(以下小千谷工場と略称する)は従業員約三百八十名を擁する同会社所属の工場であつて、新潟県北魚沼郡小千谷町大字稗生に所在し、戦時中は工作機械専門工場であつたが、終戦後は主として製粉機、木工機械等の製造販売を営んでいたもの、全日本機器労働組合理研小千谷工場分会(以下分会と略称する)は当初昭和二十一年一月七日前記小千谷工場の従業員を以て組織した理研工業株式会社小千谷工場従業員組合として発足し、同年四月前記会社所属の事業所毎に組織された労働組合が合同して組織する理研工業労働組合連合会(以下連合会と略称する)に団体加入し、次で同年八月小千谷工場全従業員は幹部を除き個人の資格に於て全日本機器労働組合(以下機器と略称する)の前身である全日本機器労働組合準備会新潟支部(同年十月二十五日以降は現名称に変更)に加入すると共に組合の名称を前記の如く改めたもの、被告人牧口直栄、同小西志郎、同伊藤佐一郎、同佐藤享平、同畑政二同斎藤初太郎の六名(以下社外被告人と略称する)を除くその余の被告人等は孰れも右小千谷工場の従業員で且つ前記分会員、被告人牧口直栄、同小西志郎は、孰れも倉敷紡績株式会社北越製作所長岡工場の、同伊藤佐一郎は電気化学工業株式会社青海工場の、同佐藤享平は日本発送電石打発電所の、同畑政二は宇都宮製作所十日町工場の、同斎藤初太郎は東洋合成工業株式会社新潟工場の各従業員で且つ孰れも新潟県産別会議傘下の各労働組合所属の組合員であつたものであるが、右小千谷工場は戦時中は工作機械製造工場として殷盛を極め、一時多額の負債に悩んでいた会社を復興に導く原動力となつていたものであつたが、終戦により平和産業えの切替が行われてからは業績挙らず一方当時漸く活溌となつて来た労働組合運動の波に順応し昭和二十一年十月十六日前記理研小千谷工場分会同分会員その他の分会、分会員等を代表する連合会及び機器との間に有効期間三箇年の労働協約(以下協約と略称する)を締結した。而して右事業不振に伴い昭和二十二年五月頃からはしばしば給料の遅払をなすに至り同年十月インフレーシヨンの昂進と企業縮少の声に生活に脅威を感じた小千谷工場従業員は企業整備反対、賃金値上を唱えてこれを会社に要求し、会社側は、これに対し賃上要求につき所謂独立採算制を楯にこれを拒否する態度に出たのみならず、同工場の経営不振を理由として昭和二十三年一月十七日被告人山崎太市等の所属する前記分会に対し、従業員三百八十名中二百名を解雇してこれを百八十名に縮少し、解雇者に対しては会社の内規に定まつた手当を支給する旨の工場再建整備案を提示したのである。ところがこの提案は分会の反対にあい同問題の協議は会社と連合会で組織する理研工業株式会社中央経営協議会に移されることとなり、同年二月十三日第一回の中央経営協議会の開催を見るに至つたが同協議会の席上会社側は突如小千谷工場従業員全員を解雇し、同年三月末日を以て工場を閉鎖し解雇手当として一人平均税込一万九千円づつを支給する旨の代案を提示したので、連合会はこれに反対し、対案として脱穀機等農器具の生産による市場の開拓並に不用資産の処分による流動資本の獲得等人員整理による再建に関する具体案を同協議会及び次期の協議会に提示したのであるが希望的観測を含むものとして会社側の一蹴するところとなり、その後会社は工場閉鎖は断行するも工場の残務整理並に右再建準備のため、閉鎖と同時に約五十名を再採用する旨また解雇手当は一人当り税込一万五千円を支給する旨提案したが、連合会はあくまで工場閉鎖による全員解雇に反対し、人員整理によつて工場を再建すべきを主張して譲らず、同年三月九日に開かれた小千谷分会の大会に於ては、右会社案につき検討を加えた末、同再建整理案の企図するところは要するに工場の再開を予定とする工場閉鎖従業員全員解雇であつて労働組合法第十一条違反の脱法行為であり、一人当り一万五千円の解雇手当も協約第十二条に違反するものであるとの意見に一致し、これを新潟地方労働委員会に提訴することとなつたのであるが、当時給料は二箇月程の遅払の情況にあつたためこの頃から従業員の中には、むしろこの際解雇手当を得て現実の生活困難を打開せんため会社案を呑むも己むなしとする意見が現れ漸く有力となり分会内に意見の対立を見るに至り同月二十八日会社案に対する分会の態度決定について分会大会が催され、要決の結果は会社案賛成二百十五票、反対百十八票、無効四票の多数で会社案が採択されるに至つたのである。然し、この決議については機器及び連合会との関係に於てその効力に疑義ありとせられたため、更めて同月三十日分会大会が開催されたのであるが、この時緊急動議として分会の連合会脱退の可否が議せられ票決の結果脱退賛成二百二十票、反対百十三票、無効三票の多数で連合会脱退を議決、次で分会規約改正に関する議案が上程され票決の結果賛成二百二十八票、反対百十一票、無効一票となり、分会規約第十七条所定の規約変更に必要な出席者の三分の二以上の多数有効投票を得て原案が採択せられ、ここに分会規約第十七条中分会の解散は四分の三以上の多数決できめるとの部分が削除され、第十八条として分会は工場閉鎖若しくは分会員の三分の二以上の多数による大会の決議によつて解散する旨分会の解散事由に関する規定を新設し旧第十八条以下一条ずつを繰下げる等条文の整理を行い第三十八条に於て、右改正規約は一九四八年三月三十一日より実施する旨を定めここに前記三月二十八日の決議と相俟つて、分会は会社提案の工場閉鎖全従業員解雇を承認し、三月末日を以て分会は解散することとなつたのである。而して同分会は翌三月三十一日連合会に対し脱退の通告をなすと共に当時の闘争委員長西村三郎を代表として会社との間に会社の提案を受諾する旨の協定を結び、会社は同日午前十一時半頃小千谷工場に於て会社の取締役村松健蔵を通じ工場従業員に対し工場を閉鎖し全員を解雇する旨を申渡したのであるが、当初から会社案に反対し、会社の措置を不当なりとしていた会社の従業員である被告人等(社外被告人を除く)及びその同志は前記会社案受諾の大会決議は労働組合法第十一条並びに協約第十三条に違反して無効であり、工場閉鎖を受諾する協定も闘争委員長が無権限で取結んだ無効のものであるとなし、闘争宣言を発すると共に従来よりの主張を強力に推進し会社をして被告人等の要求に屈服せしめんがため所謂生産管理と称し、前記小千谷工場に於ける会社の経営に関する一切の支配を排除し、被告人等百数名の手に於て同工場の施設等を利用して従来の会社経営方針に準拠し機械機具等の製造販売を継続し、その間経理一切は被告人等の管理下に置くことを企図し、同日午後四時頃小千谷工場内に集合して、闘争委員長に被告人山崎太市、副闘争委員長に同広井芳蔵、闘争委員に同藤井正二、同石坂周吉を互選し、この闘争委員会の下に生産管理委員会、事務局、渉外部、情宣部等の各部局を設け生産管理委員長に被告人水口平、副委員長に被告人広井芳蔵、同委員に被告人川上蕭、原審相被告人西川徳平を選任し、総務係長に右西川徳平、業務係長に被告人川上蕭が就任し闘争態勢を調えると共に、同日午後五時頃同被告人等が生産管理を行うべき旨を小千谷工場長代理細貝信三に通告したところ、同人から本日午後四時を以て小千谷工場の従業員全員を解雇したのであつて既に従業員ではない被告人等からのかような要求には応じ難い旨の回答をうけ、ここに会社及びこれに左袒する従業員と所謂生産管理派の従業員とは全く分裂し、相対立するに至り生産管理派は既定の方針により同工場施設を利用して機械器具等の生産販売を続行して来たのであるが、同年四月三十日会社は新潟地方裁判所長岡支部に対し被告人等生産管理派の従業員に対し、その占拠する第一乃至第四工場、第六乃至第八工場、事務室、守衛所、製造工場、検査場、工具室、倉庫、受電室等十五棟の建物並製品資材、帳簿類につきその占有を解除し執行吏に対し建物を明渡し物件を引渡すべく、申請人たる会社は緊急を要する残務整理並に工場再建準備をなすに必要なときは執行吏の保管を条件として、前記物件の使用の許可を求めうる旨の仮処分を申請して、同趣旨の仮処分決定を得、五月三日その執行を終り、更に同決定に基き同月中旬緊急を要する残務整理並に工場の再建準備のため、会社申請の西村三郎外六十数名の従業員に対し仮処分物件の使用が許可せられたのであるが、

第一、被告人山崎太市同藤井正二、同広井芳蔵、同石坂周吉等は原審相被告人西川徳平と共謀の上前記仮処分の執行された後である同年五月十六日頃同工場炊事場に於て同所の備品であつて会社所有の朱塗木皿六十五枚、瀬戸皿二十枚、瀬戸丸皿九十枚、五百膳飯杓子二十個、すりこぎ棒二本等を窃取売却し、

第二、右仮処分の被申請人である被告人山崎太市、同水口平、同川上蕭、同佐藤栄作、同吉田常世、同福原一三、同藤井正二、同星野郁五郎、同原豊吉、同野上松三郎、同小林二三男並に原審相被告人沢中正二、同米岡修治、同込田勇二、同内山昭平等は依然同仮処分から除かれていた工場敷地内の第五工場、食堂、倶楽部、寄宿寮等の建物を占拠し、右の如く会社の業務を妨害してはならない旨の裁判書の送達を受けていたにも拘らず前記の如く執行吏の許可により仮処分建物の使用を認められ会社の残務整理並びに工場再建準備の業務に従事する西村三郎、小塩修、水無瀬徳行、小林忠次、佐藤由次、渡辺信吉外六十名等に対し、団結の威力を藉りて同人等の工場内えの立入を阻止し右会社の業務を妨害する意図の下に共謀の上同月十八日頃工場正門に木製の仕上台を積重ねその上にコンクリート製の土管を置き列べ、見張人を配置する等正門から工場えの立入を困難ならしめ、越えて同月二十三日午前九時二十分頃前記西村三郎外数名が会社の業務に関し工場正門より場内に入らんとするや、争議応援のため来合せていた被告人牧口直栄、同小西志郎、同伊藤佐一郎、同佐藤享平同畑政二、同斎藤初太郎その他数十名の者と共謀の上正門の外側に於てスクラムを組み労働歌を高唱して気勢を揚げ多衆の威力を示し、もし西村等が強いて入場を試みようとするならばこの力により右西村等の身体自由に害を加うべきを暗示して同人等を畏怖せしめ且つ工場えの入場を阻止し因て右会社の業務を妨害し、

たものである。

右の事実のうち、

判示冒頭の事実は、

一、被告人各自の地位職業につき、各被告人がそれぞれ当公判廷で述べた判旨同趣旨の供述

一、判示関係被告人等が当公判廷に於いて工場閉鎖全員解雇を目的とする会社側提案は労働組合法(旧)第十一条に違反する脱法行為であり機器及び連合会の同意を得ることなく唯小千谷分会の議決による承認のみによつて行われた全員解雇及び工場閉鎖は労働協約第十三条に違反して無効であるのみならず、右議決に基き会社と協定を結んだ西村三郎は闘争委員長であつて執行委員長ではないから分会規約第二十六条により代表権がなく右協定は無効である。また仮処分物件の使用を仮処分申請人ではない細貝信三に許した執行吏の処分は無効であると弁疏するほか会社の組織目的、業務組合の組織性格、争議の経緯等につき当公判廷で述べた判示と同趣旨の供述

一、弁護人提出の昭和二十三年四月三十日附新潟地方裁判所長岡支部の仮処分決定正本中判示仮処分決定の内容につき判示同趣旨の記載

によつて、これを認め

判示第一の事実は、

一、判示関係被告人等が当公判廷に於いて述べた判示日時判示備品を売却処分したことは事実であるが、これは自分達が従業員を百八十名とみて余剰の備品と認めて会社の承諾なしに売却したものであるとの趣旨の供述。

一、理研工業株式会社から新潟地方検察庁に提出した昭和二十三年五月三十一日附告訴状並びに同会社小千谷工場久保田宗三郎提出被害品明細書(記録第二七八六丁以下同二七八九丁以下)中判示に照応する盗難被害顛末の記載

によつて、これを認め

判示第二の事実は、

一、関係被告人等が当公判廷に於いて会社側の申請により仮処分物件につき執行吏が与えた使用許可は無効であるのみならず昭和二十三年五月二十三日工場えの入場を阻止された会社の従業員と称する者は協約第十八条に違背して会社が雇入れた者であり会社の従業員と認め難い、仮に会社の従業員であるとしてもこれよりさき、被告人等と会社側(工場)との協定により入場を許さない話合になつていた。またスクラムを組むことは労働者の団結の象徴であり、積極的な暴行脅迫の意図を示すものではない。従つて同日に於ける被告人等の行動は業務妨害罪、暴力行為等処罰に関する法律違反をも構成しないと弁疏するほか当公判廷で述べた判示と同趣旨の供述

一、証人西村三郎が当公判廷で述べた判示に照応する被害顛末の供述

一、原審第十五回公判調書中証人佐藤由次の供述として判示昭和二十三年五月二十三日に於ける業務妨害並びに多衆の威力による脅迫を受けた被害顛末につき判旨に照応する記載

によつてこれを認める。

被告人並に弁護人は孰れも生産管理を争議手段として合法なるものとなし本件公訴事実に現れた被告人等の行為を以て罪とならずまたは少くとも緊急避難と認むべき正当行為として違法性を欠くものであると主張し、その刑事責任を否定する。仍て左にいわゆる生産管理の本質及び実体に関する当裁判所の見解を明にし、これに基き被告人等の行為のうち如何なる点に如何なる違法阻却若くは免責の事由があるかに論及し右の主張に応えることとする。生産管理は被告人弁護人主張の如く一般的に合法な争議手段として許さるべきものであろうか。この問題は資本制生産の意義と労働法の本質を明かにし、それに対しいわゆる生産管理が如何なる意味関係を持つかをつきとめることによつて解決し得る。そもそも資本制生産なるものは一方に於て生産手段の私的所有並に、これと同列に置かれるもろもろの私的な権利支配を認め、他方自由意思に基く私的な権利支配の等価的交換を肯定し、直接資本家の意思によつて実施せられる私的所有権(資本)と労働者の自由意思を媒介として間接に資本家の意思の支配に服する労働者の労働との結合によつて行われる。そこには所有権(資本)に対する資本家の意思の排他的な支配と、この支配に対立し、且つこれを媒介するものとしての自由な労働者の主体的意思の支配との対立を見るのであつて、いわゆる資本制生産の根柢にかような市民法的関係の存することは何人もこれを否定しないであろう。而して労働法の課題は、右に述べた資本制生産を前提とし、その脊柱をなす市民法的原理が資本制の生産組織の進展に伴い発生する特異の労働事象に対処し、如何に修正され、如何に変更さるべきかを考究することにその重点の存することは多言を要せざるところであつて、それはあくまで資本制生産社会に於ける労働に関する法原理の探究であり、これと異る他の経済社会に於ける労働法原理を研究の対象とするものではない。然らばいわゆる生産管理は右に述べた意味に於て資本制生産並に労働法に対して如何なる意味関係を持つであろうか。それについては一応まず生産管理の意味をきめてかからなければならない。

通常生産管理とは労働関係の当事者間に於て、労働関係に関する主張が一致しない場合、労働者の団体がその主張を貫徹するため、組織的行動によつて使用者たる企業主体の意思に反して企業の物的施設に対する支配を取得し、且つこれに対する企業主体の支配を事実上不能ならしめる争議行為であると解されている。この定義によれば何よりもまずそれは労働争議行為としての生産管理であるということが留意されねばならない。故に第一にこの点から生産管理の性格を明かにし、次いでその生産性、共益性の問題を検討し最後に生産管理が争議行為として許される場合があるか、あるとすればそれは如何なる場合に於てであるかに論及して一般的考察を終らねばならない。

まず第一の点から考察する。

生産管理は同盟罷業、怠業、作業所閉鎖と同じく労働関係の当事者が、その主張を貫徹することを目的として採用さるべき争議手段として労働法原理に服すべき筋合のものでなければならないのであるが(労働関係調整法第三十六条第三十八条旧労働組合法第二十五条等)生産管理は労働者が資本家(企業所有者)その他企業主体の支配干渉を排除し物的施設を独占しその意に反して事業を経営するのを本質とするものであつて、この点に於て他の争議手段と異る特質を持つ。すなわち、それはさきに記した如く資本制生産の骨格をなす所有権(資本)に於ける資本家の意思の排他的支配と、この支配に対立し且つこれを媒介するものとしての自由なる労働者の主体的意思の支配との対立を否定し、真向から資本制生産組織の基盤をゆり動かす一種の争議手段として他の争議手段と質的に異るものであると謂わねばならない。いつたい罷業にせよ、怠業にせよ、はたまた工場閉鎖にせよ、これ等の争議行為がたとえ一時的にもあれ経済の運行を阻害し、社会の秩序を紊す等客観的に見て、社会経済に及す影響特にその物心両面に与える損失の大なるものがあるにもかかわらず(労働関係調整法第七条は明かに争議により業務の正常な運営が阻害せらるることを予定している)これが法律上是認せらるる所以は果して何処に求めうるであろうか。市民法上本来債務不履行として損害賠償の原由たるべき罷業、怠業、工場閉鎖が労働関係調整法第七条に見る如く現在明文を以てこれを許容されている根拠は何処にあろうか。苟も法の認容するところ、客観的な損失が単に損失として止るべき筋合はない。そこには必ずや法の理念がひそむものであることを思わざるを得ない。近代法史上、労働者の団結権、団体交渉権が確認せらるるに至るまでの経緯とその意義については、ここに縷述を要しないが、いわゆる争議権は右団結権、団体交渉権の裏づけとして認められたものと説かれている。それは、いわゆる契約自由の原型の修正として実質的な契約の自由の実現を期するため認められるに至つたものといわれるのであつて、市民法原理の修正ではあるが、いわば自己に内在する法原理による自律的修正であり資本制生産組織そのものを修正せんとするものではなく、それを基盤としてそれを動かす契約的自由の原則の発現形態の変更にすぎぬのである。その目的とするところは対立する労資関係の力の均衡を得て労資結合の調和を求め、資本的生産の維持発展を期するにあり、従つて、団体交渉権と謂い、争議権と謂うも、結局は右の窮極目的に奉仕するものでなければならない。旧労働組合法第一条は同法の目的が労働者に団結権を保障し、団体交渉権を保護助成することによつてその地位の向上を図り経済の興隆に寄与せんとするにあることを明にし、労働関係調整法第一条が産業の平和を維持し以て経済の興隆に寄与云々と規定するところは均しく右に掲げた窮極の目的を明示したものと解せられ、ここに争議権の相対性、手段性を認めざるを得ざる根拠があり、争議手段に限界が劃されねばならぬ所以がある。

争議権、争議手段の相対性、手段性は二つの面から考察しうる。(1) 争議従つてまた争議行為は労働関係当事者の対立抗争を前提とする。相佶抗対立する力は互に相手方に打撃を与えることにその使命がある。然し法はこの力対力の関係を単なる赤裸々な事実上の関係としてではなく、双方当事者を対等の力の関係に立たしめ互に牽制し相争わしめるとゆう方法によつて価値づけそこに妥当な労資の結合の実現さるべきことを期待する。いわゆる労資対等とはかような抗争対立の面に於ける対等乃至は対等を期する理念なのであつて、資本主義社会に於ける資本と労働の地位の対等を意味するものではない。(2) 対等な力関係に立つ抗争対立を認めるとしてもさきに述べた通り、それは窮極の目的に奉仕するための手段として認められるのであるから、相対立する力そのものについても、自ら限度がなければならない。仮に(1) に述べた力の均衡に関する原理が唯一の指導原理であるとすれば、労資双方互に手段の限りを尽し、方法の如何を問わずただ相手方に打撃を加えることに専念し、鎬を削つて争うことを放任することとなり、果しない抗争の連続を容認せざるを得ない結果となるであろう。然し、これはもはや力を力として肯定し、法的秩序を否定して之に代つて力の支配を認めんとするものであり到底許すべからざるところである。法は力の行使を必要な最小限度に止めて最大の効果を収めんとする。労働関係調整法第二条によつて明言せらるる如く、ここには争議方法の謙抑主義とも称すべき抑制の原理が働くものと考えざるを得ない。而して窮極に於ては資本制生産機構の維持という最後の一線によつて限界ずけられていることは前記の通りである。罷業や怠業が争議行為として法律上許されている所以もかような基準からこれを理解し得るのである。

そこで飜つて生産管理の合法性の有無を右の指導原理に照して検討することとなるのであるが、そもそも労働者の罷業怠業に対抗する争議行為として資本家(企業主)に与えられたものが工場閉鎖であることは謂うまでもないところである。若し仮に生産管理を合法な争議行為として放任せんか、工場閉鎖は争議行為として殆どその意義を失う結果となるであろう。何故ならば、生産管理は前述の通り労働者による工場作業所等の占拠が不可欠の要素であるから、もし資本家側が工場閉鎖を断行しようとすれば労働者側の生産管理が開始される前に機先を制してこれを行わぬかぎり、この方法を用いる機会はなく、而も工場等は平時労働者の職場としてその占拠するところである関係上労働者側の機先を制して工場閉鎖を断行することは甚しく困難となる。しかのみならず労資互に相手の機先を制して争議行為をなすにあらずんば所期の目的を期し得ないことになれば、勢、事の大小、緩急を問わず相互間の主張の相違を直ちにかかる争議手段に訴えて解決せんとする風潮を馴致することは必定であるのみならず(争議方法の謙抑主義の理想に相反する)工場閉鎖対生産管理の対立は、工場閉鎖対罷業怠業の対立と異り暴力による実力闘争の契機をはらんでいるものであつて、ここに至れば、もはや果しない実力闘争の激化が予想せられる。この事実は、右(1) (2) の何れの基準に照しても生産管理を合法な争議手段として認め得ざる事由の一端を窺うに十分であるが、更に根本的に資本制生産組織との関係に於て、これを見るならばこのことは一層明瞭となる。さきにも一言した通り、生産管理によつて労働者が組織的行動によつて企業主体の意思に反し企業の物的施設に対する自己の支配を獲得し経営を自己の手に収めることを原則的に合法視することは、資本制生産組織の根幹にふれ、これと直接相衝突する結果となるのであるが、資本制生産は生産手段従つてまた生産物の私的所有の基礎の上に立ち企業の利益と共に損失もまた資本家に帰属するのであるから多数労働力の結合協同による生産行程を遂行する指揮命令は資本家の利益を代表するものの権能でなければならず、労働者の労働力はこのために資本家に買取られるのであつて、この関係は資本の所有と経営の分離如何にかかわることなく常に資本の所有が背後から経営を潜在的に或は現実的に支配し統制しているのである。然るに生産管理に於てはこの生産行程の指揮命令すなわち経営が資本所有者の利益代表者によつてではなくその対立者である労働者によつて掌握される結果、生産管理が遂行されている間資本家は企業の危険を負担せねばならぬにもかかわらず、所有権の効力として可能な範囲内に於ての危険支配が拒否されることとなる。かような結果は資本制生産と直接衝突矛盾することは明かであつて資本制生産の維持を前提とするかぎり生産管理はこの最後の一線に於てこれを到底相容るる余地なきものであることを知るのである。

以上生産管理を純粹な争議手段として考察し、その合法性を否定したのであるか、巷間説かれる如く、それが持つ生産性、共益性の故に合法性を獲得し得る余地があるであろうか、次にこの点を考察すれば生産管理は元来争議行為の一であり労働者の主張の貫徹を期するため業務の正常な運営の阻害という犠牲に於て遂行せらるる抗争手段であつてみれば、その本質はあくまでも資本(企業)と対立佶抗するものでなければならず、これに何等かの打撃をあたえうるところにその使命を見出しうるのである。そうだとすれば一方これを肯認しつつ他方それに生産性があり共益性があるから罷業怠業に比してより合法的な争議手段であるという主張は二律背反以外の何物でもない。畢竟かかる主張は生産管理の本質にあらざる属性の一端を見てその本質を忘れたものか。然らざれば殊更にその本質を隠蔽してその合法を装う作為の主張と謂わざるを得ない。生産管理の結果一時生産が高まり、営業成績を挙げたように見られる場合も、それが僅か一乃至数作業所に限局され全般に亘つて経営の実が挙つたと断じ難い場合も多かるべく、真に業績改善の客観的事実ありとしても、生産管理期間中の一時限の実績を捉えて、永い将来に亘る企業経営の全般を度外視して生産管理の生産性、共益性を云々することは危険であり、俗に言われている生産サボと称せられるものも企業全般からみれば果して実際上真にその名に値するものであるか否かについては慎重な吟味を要する事柄であつて、軽々にこれを生産廃止と同視することは許されない。殊に生産管理が争議を行う労働者自身により、その主張を貫徹せしめんとする直接目的によつて指導されている以上そのいわゆる生産性は結果に於て多かれ少なかれゆがめられた形に於て現れざるを得ないことは火を見るよりも明かなことである。之を要するに、生産管理後の労働者(労働組合)による企業経営はその外形に於てその発生前の経営と類似しているとは云え、その内実に於てまたその原理に於て、全くその様相を異にするものであることも知らねばならない。この点に関連して一言するのであるが、いわゆる善良なる管理者の注意を以てする生産管理若くは理想型の生産管理なるものを原則的に合法なるものとなし或は生産管理は強力なる争議手段にあらず、また長期化せざる故を説いて合法なりとする主張は、いずれもこれと同様の誤謬を包蔵するものと謂わねばならない。

生産管理が原則として許すべからざる争議手段であることは以上の通りである。然らば如何なる場合に於いてもそれは争議手段として許されぬものであろうか、違法でないものとして許される場合がもしありとすればそれは如何なる条件の本に於いてであろうか。これが次に来る問題である。

生産管理が罷業や怠業と異る性格を有することについては、さきに触れるところがあつた。いま仮に労資間に適式に協定された労働協約が故なく企業主によつて踏みにじられ給料の不払若くは遅払が続き、物価の急騰その他経済事情の変化によつて従業者の生存が著しく危殆に瀕するような事態に立至り、しかも罷業怠業等通常の争議手段を以つてして金くその実効を期待し得ない程度に著しく両者の力の権衡が失われている場合ありとすれば、これを以つて真に已むを得ざる緊急事態となし、これに対処する方法として生産管理の道を選ぶこども亦已むなしとして容認せられるものと解する余地があるのではあるまいが。かような事情の下において、なおかつ従業者の拱手傍観を期待することは不可能に近いと謂い得るのみならず、これを命ずることは衡平の法理念に反する。ただ然しこの場合は真に已むを得ざる事態に処する手段として容認する場合であるから他の争議行為が争議手段として既にその意義を喪つているという客観的事態を必要とすると同時に、生産管理そのものも素朴な力の対立抗争を止掲した立場に於いて規定せられなければならないこととなる。この点について次の二つのことが留意されねばならない。その一はかかる場合労働者は労働条件の改善その他自己の経済的地位を向上せしめ窮極に於いて経済全般の興隆に寄与せんとする意図の下に已むを得ず一時企業を自己の支配下に置かんとする目標によつて指導せらるることを要し他の平和的方法による解決の途があるにもかかわらず短兵急にかかる非常手段に出ることは許されず、単なる政治目的その他法の精神に背馳する目的を以つて指導せられてはならないということであり、その二は管理行為の内容は右目的を達するに必要な最小限度に止まらねばならず、管理方法も善良な管理者の注意を以つて行われなければならないということである。

かような条件の下に生産管理が容認せられるとしてそれと刑罰法令との関係如何が問題となる旧労働組合法第一条第二項は「刑法第三十五条ノ規定ハ労働組合ノ団体交渉権ソノ他ノ行為ニシテ前項ニ掲グル目的ヲ達成スルタメ為シタル正当ナルモノニ付テ適用アルモノトス」と規定し、改正労働組合法第一条第二項も亦如何なる暴力の行使も労働組合の正当なる行為と解釈し得ない旨の但書を附加したほか旧法と同趣旨の規定を設けている。而して本件の行為時法である旧労働組合法第一条第二項にいわゆる「正当ナル行為」とは労働法的な視角から如何なる方法が争議手段として許容せらるべきかその判定の標準を示すものとして理解せらるるのであるが、これを生産管理について言えばその具有する特質上他の争議手段とは異り前記の如き特別非常の事態に於いて、はじめて正当なるものとして容認せらるべきを明にしたものであり、更に同条項は当該争議手段の内容をなす個々の行為につき刑罰法令の立場からいわゆる違法性に関する評価すなわち刑法第三十五条の適用の有無に関する判断の余地あることを示したものと解する。言いかえればこの場合法は刑法第三十五条の適用があると謂うもののそれは当該生産管理の実施によつて行われる個々の行為が無批判に法令による行為乃至は正当業務行為として違法性が阻却されるという趣旨ではなく、構成要件上刑法各本条に該る各個の行為については生産管理を容認せんとする法の理念と刑罰法令の本質、目的等を勘案し個々の行為につき合法性の有無を判定すべきことを明にしたものと解するのである。

かようにしてここに具体的な本件事案の考案に立ち帰るのであるが、要するに考察の主眼とするところは本件生産管理が果して右に述べたような特別の事情の下にやむなく実施されたものであつたか、言い換えれば、それは許された争議手段と見るを得るものであつたか、若し然りとすれば、刑法の正条に照し本件公訴事実について犯罪が成立するかの二点に帰する。故に以下順を追つてこの点につき審究することとする。

弁護人提出の貸借対照表(弁護人提出の証第十九号、以下弁護人提出の証拠については弁証第何号と引用する)の記載によれば、昭和二十三年一月三十一日現在に於いて理研工業株式会社小千谷工場は棚卸資産として材料三百六十三万四千六百八十八円余、仕掛品二百九十八万二千九百九十九円余、製品五百十七万九千三百六十九円余、右合計約千百七十九万七千五十六円余を有し、一方損失は三百四十二万円となつており、右資産評価は昭和二十一年八月現在に於ける価格に比して約一・一乃至七倍、最低は材料に於ける約一・一倍の増加となつているが、終戦後昭和二十二年七月頃までは所謂新円インフレーシヨンの好況期は物価上昇の一途を辿つていたことは公知の事に属し仮に数量は変らざるものと仮定しても右資産評価の如きは当時の物価指数の昇騰率と対比し果して当を得たものか、疑はしく現実には相当の評価益が見込まれ右貸借対照表上に現れた損失を掩うて余りあるのではないかと思われる。尤も会計理論上からはかような評価益を見積ることは一般には許されないのであるが、前記のような異常なる経済事態の下においては寧ろかかる評価こそ妥当なものと認められるべきである。而して更にこれを動的な金融面についてみれば、昭和二十二年後半以降に於いてインフレーシヨンは漸く悪性化の徴を示し企業資金は回転を緩め、購買力は減退し、いわゆる金詰り現象を見るに至つたことも周く知られているところであり、本件に関しても原審証人加藤泰正の供述(第十三回公判調書中)同細貝信三の供述(第五回公判調書中)によれば、小千谷工場の従業員三百八十名の給料一人当り二千二百円平均として月々合計約八十万円の支払を要し、機械工場では月平均二百万円乃至二百五十万円の材料費人件費を回転しなければ経営不能であるに拘らず昭和二十二年二月頃から十二月にかけて二百万円の収入を超えたのは八月一箇月にすぎず昭和二十三年に至り最低十八万円の収入金が回転したに止つた事実もあり、昭和二十二年四月頃から従業員に対し給料遅配するようになり本社からは八百万円の借入をせざるを得なかつた旨を述べ、その原因として機種転換の時期と方法を誤つたこと資金回収の困難であつたこと等を挙げているのであつて、これにより当時同工場が金融難に悩んでいたことも認め得られないわけではないが前提の貸借対照表の記載によれば売掛金、社内売掛金、特殊預金、当座預金下請工場前払代金等合計二百七十数万円が計上されており、その全部が直ちに現金化し得ないまでもそのうち何割かは現金化しうるものと認められるのみならず、本社からの借入金によつて或程度事業資金の不足を賄い得たことは前顕加藤証人の供述記載からも窺知し得るところである。理研工業株式会社は終戦後の経営難を打開し、各工場の自主的経営意欲を刺戟する目的を以つて、地域別又は業種別に所属工場を結合して数個の工業部を編成し、本社は営業部を廃し収支一切を各工業部に委譲したのであるが、その後同年六月右工業業部制を廃し爾来各工場別独立採算制を採つて現在に至つたものであるというのが会社の主張するところであり、会社はこのことによつて全従業員解雇、工場閉鎖を正当視せんとするものの如くであり、前記貸借対照表等によつても会社が工場別独立採算制を採用していることを肯認し得るも元来この制度が単一企業体内部の経営技術の問題であり、所属部門別若くは工場作業所別に一応の利益損失を明瞭にし責任を明白ならしめんとする趣旨の下に実施せらるる制度であつて、企業全般の営業成績企業体より従業員に支給せられる給与等と直接相関わるところはなく、本件に於ける独立採算制もかかる意味に於ての独立採算であることは理研工業株式会社提出の会社経営状況報告書(記録第二五五六丁以下)によつても認め得るのであり而も同報告書添付の月別純損益明細表、貸借対照表(昭和二十三年三月末現在)によれば会社全体としての経理状況は昭和二十三年一月を最後として赤字から黒字に転じていることを知るのである。かような情況の下に於いて会社が一方に於いて給料の遅払をなしつつ他方工場閉鎖、従業員全員解雇を強硬に主張する合理的な根拠が果してあつたか否かこの点については相当の疑なきを得ない。況んや当初昭和二十三年一月十七日会社は人員整理による事業縮少案を従業員側に提示しながら、その後僅々一箇月を出ない同年二月十三日に至つて突如代案として工場を閉鎖し全員を解雇の上即時五十名を再採用する旨の前記提案をなすに至つた消息については、当審公判廷に於ける証人細貝信三、同西村三郎の供述その他の証拠によつてもこれを詳になし得ざるのみならず却つて原審第十一回公判調書中の証人西川徳平の供述記載に徴して小千谷工場は経営不振によつて人員整理の必要こそあれ工場閉鎖、全従業員解雇の必要があつたとは認め難いのである。他方これを労働組合法の規定、労働協約、組合規約等の解釈の面から考察すれば昭和二十三年三月二十八日及び同月三十日の小千谷分会大会に於ける議決の効力如何が当面の問題とならねばならない。而して三月三十日に於ける連合会脱退決議は過半数の多数を以つて、また組合規約改正は三分の二を超える多数を以つて、それぞれ議決されたこと判示の通りであるが、改正前の組合規約(弁証第一号)第十七条によれば、大会決議は規約の変更及び分会の解散の場合を除いては出席会員の過半数の多数を以つてすべき旨を規定しており、且つ連合会が本来傘下の単位組合から成る連合体である関係上、分会が右規約に基き過半数の多数決を以つて任意に連合会を脱退しうることはもとより当然のことと言わねばならず、また分会規約の改正についても前記組合規約所定の多数を以つて議決せられたのである以上改正は有効になされたものと認められる。尤も被告人等は右規約改正の議決にあたつては塩川某の委任状による投票が無効とされた結果であつて、右投票の効力に関する判定は公正を欠き従つて右議決の効力に疑ありと主張するのであるが、右投票の審査に関しては統制部に於いて一応の審査を遂げ更にこれを各職場の委員十二名を以つて組織する選挙管理委員会に於いて検討を加えて効力の有無を決定したものでありそれについて当時何等の異議もなかつたことは古塩修、佐藤三郎、西村三郎、佐藤由次その他の上申書(記録第三一三二丁以下)によつて明かであつて被告人の弁疏は採容し難い。果して然らば同月二十八日の分会大会に於ける工場閉鎖、全従業員解雇を承認する旨の決議はここに至つて連合会から離れた分会独自の問題としてその効力が決定せらるべきものであり労働協約(弁証第二号)第十三条の解釈として解雇工場閉鎖等については分会の同意のほかなお連合会の同意をも要するや否やは問題としての意義を失い右決議は五月三十日の議決によつて完全に補完せられて有効となつたものと認められねばならない。而してこのことは単に分会と連合会との関係に止まらず分会と機器との関係についても同様であつて、そのことは伊佐忠久の上申書(記録第四二〇一丁以下)中昭和二十三年三月三十一日までに従業員の半数を超える古田島博英外二百三名の分会員が機器を脱退した旨の記載によつて窺知しうるところである。ただ問題となるのは三月二十八日の議決に関し旧規約第十七条によつて分会解散は出席会員の四分の三以上の多数決による議決を必要とする特別議決事項であるにかかわらず、これと同視すべき工場閉鎖が過半数の通常の議決方法による議決を以つてなし得べきか、また分会の過半数の多数決による工場閉鎖全員解雇案承認議決を以つて規約第十三条にいわゆる組合の同意による解雇、又は工場閉鎖と謂うを得ず労働組合法第十一条の脱法行為として無効であると解すべきかの点であるが、前者については工場閉鎖と分会解散とは各別個の事柄であり、工場閉鎖すなわち分会解散を意味するものとする論理的な根拠に乏しいとゆう一事によつてこれを解決しうべく、後者については、会社が工場閉鎖、全員解雇案を提出した意図が何れにあつたにもせよ、分会が適式な議決方法によつてこれに同意の意思を表明した以上、その意思形成過程に於いて各員の自由意思を拘束するが如き不法なる干渉が加えられざるかぎりこれを分会の意思として尊重しなければならぬこと勿論のことであり、被告人等が主張する如く唯単に会社側に於いて各従業員に対して再採用、給料即時支払等の好餌を示して争議切崩運動に狂奔したため右の如き投票の結果を招来したものであるとなし議決の効力を云々するが如きは組合の団結力の脆弱さを告白する弁明以外の何ものでもなく、これを以つて労働組合法第十一条の脱法行為となすを得ない。次に西村三郎が右議決に基き分会を代表して会社と協定を締結した行為の効力に関しては、当時同人が闘争委員長であつたこと闘争委員長が争議期間中は執行委員長の行うべき代表権限を行使し得ることは、いずれも被告人等の認むるところであるから本件争議の終局を結ぶ意図の下に右協定が闘争委員長である西村三郎によつてなされたことは当然の事理であり、その有効なること言うまでもない。被告人並びに弁護人は連合会を脱退した分会に団体交渉権なくこの故に西村三郎と会社間の協定は無効であるのみならず、工場閉鎖が行われたとゆう三月三十一日午後四時に先立ち機器を脱退した者を除き残留会員約百三十名は臨時大会を開き運動方針変更、役員改選を行つているのであるから右協定の効力は発生せずと主張するのであるが、前記の如く分会は単位組合として何時にても連合会から脱退する自由ありと解せられ分会がすでに連合会を脱退した以上分会は協約第一条の拘束をうけることなく独立の立場から会社と協定を締結しうべく機器との関係に於ても分会員の多数がすでに機器を脱退したこと前記の通りであるから右脱退の一事を以つて分会若くは分会員が団体交渉権を喪う理由はなくまたすでに三月三十日の分会大会の決議を以つて規約が改正せられ同規約により昭和二十三年三月末日を以つて工場を閉鎖し同時に自動的に分会は解散することに決定せられながらこれに反対する少数意見者が前記の如く右議決の趣意に反する別異の行動に出で、而もその故を以つて前議決の効力を争うが如きことは多数決原則の意義を蹂躙すること甚しきものであり到底容るるに由なき論であると言わねばならない。なお又労働基準法第二十条違反の主張の理由なきことについては解雇予告賃金支払の問題が右の如き議決の効力と直接相かかわることなきを一言すれば足るであろう。

以上分会決議の効力について縷述したのであるが、右によつて明かな如く本件争議の過程に於いて労働組合法、協約組合規約並びにこれ等相互の関係につき解釈上多くの疑義を生じ、これをめぐつて会社と生産管理を主張する被告人等(社外被告人を除く)とが相対立したこと認めるに十分である。一方に於いては、さきに観た通り会社側から理由に乏しい工場閉鎖全員解雇案が提示され、他方右会社案に同意するや否やに関する分会決議の効力につきかかる解釈上の疑義をめぐつての争があつたのであるから、右分会の議決を有効なりとして工場閉鎖、従業員全員解雇を強行に断行せんとする会社に対し、被告人等(社外被告人を除く)が自己の主張を貫徹せんがため争議の手段として生産管理の挙に出たことは、これをおいて他に実効ある争議行為を期待し難い当時の客観的情況からみて、洵に已むを得なかつたところであると謂わざるを得ない。分会大会の議決が有効であつたとの客観的な事後判断を前提とし、それが故に直ちに本件生産管理が不法であるとして被告人等に刑事責任を問うことは許されない。ただ然し本件生産管理を容認してもその故にそれに伴う個々の行為の違法性が全面的に阻却されるわけではないのであるから、更に進んで叙上の事態に即し、生産管理の目的に則り個々の刑罰法令に照して本件公訴事実が果して罪となるかまた事実の証明如何が審究せられねばならない。

まず本件公訴事実中建造物侵入罪の成否を見ることとする。生産管理には必然的に従業員による工場、事業所等の建物の占拠を伴うものであるが生産管理を不法とする立場に立つかぎりそのために行う建造物の占拠は資本家(企業主)の占有をその意に反して侵奪するものであつて、刑法上建造物侵入罪を構成するは勿論であるが本件に於けるが如く、生産管理の違法性が阻却せられ、これが争議手段として容認される場合にあつては、資本家(企業主)の意思に反する物的施設の占拠それ自体のみでは未だ以つて建造物侵入罪を構成すると謂うを得ず、暴行脅迫等の不法な手段を行使する等何等か他に積極的な違法要素が加つてはじめて刑法第百三十条所定の構成要件を充すものとなすを相当する。而して、本件に於いて被告人等(社外被告人を除く)が占拠した建物は従前より被告人等が自己の職場として働いておつた工場の建物であり争議行為として已むなく実施せられた生産管理として行われた建物の占拠であるのみならず、当審公判廷に於ける関係被告人等の供述によれば工場閉鎖の当日である昭和二十三年三月三十一日前記工場守衛室に於いて被告人等は山岸守衛等から公然と工場作業所倉庫等の鍵の引継をうけて爾後本件生産管理を実施するに至つた事実を認められるのである。尤もこの点に関し当審証人山岸貢の供述記載によれば此の日守衛室の周囲には、いわゆる生産管理派の者が多数集り、騒ぎ立て殺気を帯びていたので恐ろしくなつてその場から引揚げたのであり、鍵については川上蕭等から訊ねられてその所在を教えたまでのことである趣旨を述べており原審第六回公判調書中証人細貝信三の供述として、これに符合する記載があるが、前記山岸証人の供述によつても当時その場に小千谷警察署員が居合せていたことは明かで、関係被告人等が不法な手段を弄して山岸外数名の守衛から鍵を奪取したような形跡は認められない。従つて判示仮処分前に於いての被告人等による工場建物の占拠並びにその不退去を以つて、刑法上建造物侵入罪を構成すると解することは困難である。

次に業務妨害罪の成否についてみれば、社外被告人を除く本件被告人等が分会の工場閉鎖等の承認決議を無効なりとして昭和二十三年三月三十一日生産管理を実施する旨工場側に通告し、爾来同工場建物を占拠し続けその間会社の残務整理再建準備のため行うべき業務を妨害したことは関係被告人等が当公判廷に於いて供述したところによつて明かではあるが、苟も生産管理を争議手段として容認するかぎり、この限度に於いて会社の業務執行が障害を蒙ることは、当然予期せらるるところであり、違法でない生産管理の反射的効果として許容せられねばならない。この意味に於いて昭和二十三年七月十六日附公判請求書記載の第一事実(原審判示第一事実)中業務妨害の点は罪とならざるものと解する。然しながら之に反し昭和二十三年六月三日附公判請求書記載の同年五月二十三日に於ての業務妨害行為については、これと同日の論を以つて律し得ざるものがある。蓋し、被告人山崎太市、水口平、川上蕭、佐藤栄作、佐藤重夫、吉田常世、福原一三、藤井正二、星野郁五郎羽吹昭三、原豊吉、野上松三郎、小林二三男等は原審相被告人沢井正二、米岡修治、込田勇二、内山昭平その他の者と共に昭和二十三年五月三日頃被申請人として判示仮処分決定書の送達をうけ、該決定に基き将来執行吏の許可によつて緊急を要する会社の残務の整理、工場再建準備のため仮処分建物の使用が会社に許される場合、これを妨害すべからざる旨を命ぜられ、その後西村三郎外六十数名の会社側従業員が執行吏の許可を得て右目的のため右建物の使用を許されたのであるから、被告人等は右従業員に対し自由に工場構内に立入らしめ、会社業務の遂行に支障なからしむべき義務を負うものと謂わねばならない。所轄裁判所によつて前記の仮処分決定がなされたことについては本件争議の実状に照し、それが果して当を得たものであつたかどうか、もとより批判の余地あることであろうが苟も裁判所に於て仮処分申請を理由ありとして適法に仮処分決定が下され、その執行をみた以上、被申請人は仮処分手続上法によつて認められた方法によつてのみこれを争いうるのであり、然らざる限り、これに服すべきは法治国民の当然の義務である。前記関係被告人等がこれを無視し、本件仮処分執行後執行吏の許可を得て仮処分建物の使用を許された会社側の従業員等に対し工場内への立入を阻止するため、工場正門の入口に仕上台、土管を積重ねてバリケードを設け、スクラムを組み、労働歌を高唱し多衆の威力を示して遂に入場を断念せしめた事実は明かに右仮処分によつて特別の保護の下にある会社業務の妨害そのものであつて、前記被告人等が業務妨害罪の刑責を免れぬことは当然であり、また社外被告人等が右仮処分の実状を知りながら、これに加担したことは同被告人等の当公廷の供述によつて明かである以上同被告人等もこの点につき同様の刑責を負わねばならない。被告人等は執行吏による本件仮処分物件の使用許可は仮処分申請者にあらざる細貝信三に対して与えられたものなるが故に無効でありまた西村三郎外六十数名の会社側従業員と称する者は全員解雇によつて従前からの職を失つたものであるから、会社に於いて再採用の手続を採つたとしても、それは協約第十八条に違反し、会社の従業員とは認め難いと抗争するのであるが、仮処分申請者が理研工業会社であり、右仮処分物件の使用許可申請が、右仮処分決定に基いてなされたものであつて、細貝信三は当時同会社小千谷工場を代表すべき地位にあつたことは被告人等の当公判廷の供述によつて明白であるから、同人の申請により同人に対し与えられた使用許可の処分の有効なることは言うをまたざるところであり、且つ協約第十八条によれば「争議継続中会社ハ他ノ労働供給請負業者ト労働契約ヲ結バナイ」とあるのみであり工場閉鎖全員解雇を有効なりとする会社の立場からすれば、会社が旧従業員と更めて雇傭契約を結ぶことは本条項に何等牴触するものでないこと、恰も被告人等が工場閉鎖全員解雇の効力を否定し、従前通りなお雇傭関係が存続するという立場から本件生産管理の合法なることを主張しようとするのと一般である。かように何れの点から見ても被告人等の主張は理由がない。なお被告人等が工場正門に仕上台、土管等を積重ねたのは、これよりさき五月中旬会社側に於いて門扉を取外したため、やむなくなされたものであり五月二十三日西村等会社側従業員の工場への入場を拒否したのは同月二十日頃被告人等の申入により衛突回避のため会社との間に一時会社側従業員の入場を差控える旨の協定が成立していたためであると主張しかかる事実は被告人等の当公判廷の供述によつて認め得られないわけではないが、すでに有効な仮処分決定並に該物件使用許可に関する処分があつた以上この一事は前記の判断に消長を及すものとは考えられない。

よつて進んで窃盜罪の成否につき検討を加えることとする。昭和二十三年七月十六日附公判請求書記載第三の事実(原審判決第二(二)の事実)に関しては関係被告人等は全面的に犯罪の成立を否定するが西川徳平作成にかかる出荷案内書(写)中の服部商店に対する納品書(記録第三〇八五丁)によれば、昭和二十三年五月五日理研工業株式会社小千谷工場生産管理委員会から右服部商店に対し、代金合計六万七千五百円で自動鉋三台を納入した旨の記載があるのであつて、これ等物件が当時被告人等の手によつて右の如く売却処分された事実を認めうる。のみならず前顯仮処分決定(謄本)及び添付第二目録の記載によれば第二工場所在の右物件は本件仮処分の対象となつておらず右被告人等の自由な処分に委ねられていた事情を看取するに十分である。而してまた前記公訴事実第二、第四記載の売却処分行為について、関係被告人等が当公判廷で自供するところであり、前掲出荷案内書中の納品書数通(記録第三〇七六乃至第三〇七三丁、第三〇七五丁、第三〇七六丁、第三〇七八乃至第三〇八四丁、第三〇八六丁)の記載によれば同生産管理委員会は昭和二十三年四月十日頃から同年五月上旬頃までの同会社所有の製品である右機具機械類を次のような価格で販売した事実が窺われる。すなわち、〈1〉同年四月十日頃横フライス盤二台を代金八千円で田巻栄作に、〈2〉同日頃製莚機一台を、荷造費運賃込代金二千七百八十円で関房勝に、〈3〉同月十一日頃五馬力型固定盤二個及び同篩枠一組を代金合計一千五百六十円で上諏訪農業会に、〈4〉同日頃五馬力粉碎機用ベアリング二個を代金五百円で岡谷市農業会に〈5〉同月十四日頃製莚機一台を代金二千七百円で城川村農業会に、〈6〉同日頃三馬力用固定盤回転盤各一組を代金合計九百二十円で高山之夫に、〈7〉同月十七日頃横フライス盤一台を、代金四千円で渡辺某に、〈8〉同日頃RAL旋盤一台ボール盤各一台(スクラツプ品)ブーリー等を代金合計三千二百円で伊佐薫に、同月十九日頃〈9〉製莚機(兼用機)三台スプリング三本を代金合計一万一千三百四十円で井関政一に〈10〉同月二十一日頃丸型研磨盤一台を代金一万四千円で鈴尾精密工業所に〈11〉同月二十四日頃三馬力粉碎機一台を代金三千円で留木武治に〈12〉同日頃五馬力粉碎機一台、同篩盤二組等を代金合計五千三百円で中越化学肥料会社に、〈13〉同月三十日頃角ノミ機三台を代金六万六千円で服部商店に、〈14〉同日頃一四分ノ一吋角ノミ機一台を代金二万円で日豊産業株式会社に、〈15〉同日頃十六吋自動鉋二台を代金五万四千円で日立製作所多賀工場労働組合に、〈16〉同日頃十六吋自動鉋一台を代金二万七千円で日立製作所亀有工場労働組合に、〈17〉同年五月六日頃四十二吋帯鋸機三台、二十六吋帯鋸機八台、四分の三吋角ノミ機六台レールソー(軌条切断機)一台を代金合計八十万八千円で全日本機器新潟県支部に、それぞれ売却し工場外に搬出した事実がこれである。而して以上凡ての各事実が果して不法領得罪を構成するかをみるに、当公判廷に於ける関係被告人等の供述右納品書に押捺せられた売上金領収印原審相被告人西川徳平作成提出の生産計画実績対照表(写)等の記載に徴すれば、右売却は何れも本件生産管理の実施にあたり製品の販売行為として行われたものであつて従前よりの会社の営業方針を踏襲し一定の計画に従つて行われたものと認め得るのみならず、特に本件搬出物件の一部は本生産管理開始前既に会社と取引先との間に売買契約締結済のものであつたことを認めうる。売却価格売却代金の回収等について、それが不当に廉価であつたり回収不能の危険を犯して行われたような情況も認められず終局的には経営を会社側に引継ぐべきを予期し、相当の注意を以つて管理が行われた事跡を窺知しうるのであるから、生産管理自体が不法であるとせらるる場合は格別本件におけるが如く苟もそれが已むを得ざる争議手段として容認される以上右販売行為は刑法上の不法領得罪を構成せざるものと解するを相当とする。これに反し、昭和二十三年七月十六日附公判請求書記載第五の事実(前掲判示第一事実)は関係被告人等自身の主観的判断による会社所有備品の擅なる売却処分であつて明に生産管理の内容として認めうべき行為の範囲を逸脱し、善良なる管理者の注意を欠く不法領得行為であり而も本件生産管理が已むを得ざる手段として企業主のため一時企業主の物件を従業員が自己の占有に収めるという特殊の性質を具有する関係上当時右物件は企業主である会社並びに関係被告人等双方の共同占有下にあつたものと認められるが故に関係被告人等は、この点につき共同占有者の占有を侵したものとして判示の如く窃盜罪の刑責を負わねばならない。

次に本件公訴事実中昭和二十三年五月二十三日関係被告人等が工場正門前でスクラムを組み、労働歌を高唱し西村三郎等いわゆる会社側従業員の工場えの立入を阻止した行為が果して暴力行為等処罰に関する法律第一条の罪を構成するか。この点につき関係被告人等にかかる入場阻止の意図があつたこと並びに右被告人等(但し佐藤重夫を除く)が現に前記日時工場正門前でスクラムを組み労働歌を高唱したことは同被告人等の当公判廷に於けるその旨の供述によつて明かであるが、よしかかる行為が争議目的を貫徹せんがために行われたにもせよそれが客観的に見て多衆の威力を示す等の方法により相手方を畏怖せしめ、因て本来自由たるべき工場への入場を断念せしむるに足るが如き情況の下に行われ、而も相手方がこれにより現実に脅怖の念にかられて入場を断念するに至つたとすれば、それは明かに暴力行為等処罰に関する法律第一条の構成要件を充すものと謂わねばならない。而して当審及び原審証人西村三郎の供述又は供述記載原審第十五回公判調書中証人佐藤由次郎の供述記載当審検証の結果等に徴すれば、当日西村外数名は会社用務のため執行吏により使用を許された本件仮処分建物使用の目的を以つて正門から工場内に入らんとしたものであり、かかる行為は建物の使用を許された会社従業員等の自由に属する事柄であるにもかかわらず、右被告人等外数十名の前記行動によりこれが拒否せられ西村等に於いて敢て入場を強行せんか同人等の身体自由に如何なる危害を及ぶか量り難きを感得せしめ遂に威勢に怯えてこれを断念せじむるに至つた顛末を窺い知るところであるから同被告人等の右行為は明かに暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項にいわゆる多衆の威力を示して刑法第二百二十二条の罪を犯したものと謂うことが出来る。

最後に公務執行妨害罪の成否をみるに前同日午前九時三十分頃小千谷警察署長以下数十名の武装した警察官警察吏員が二台のトラツクに分乗して前記工場正門前に乗りつけた事実は、関係被告人等が当公判廷でのべたところと当審証人高橋平吉の供述記載等によつて明かであり、右警察署員の出動が前叙の如き被告人等の業務妨害行為鎮圧の目的とする公務の執行として行われたことも同証人の供述記載によつて窺知し得るのであるが、これに対し被告人等が暴行又は脅迫を以つて右公務の執行を妨害するの挙に出たか否かに関し原審第十七回公判調書中証人高橋平吉の供述記載、当審に於ける同証人の供述記載原審第二十回公判調書中証人坂井喜吉の供述記載は原審第十五回公判調書中証人古塩修の供述記載、当審証人岩淵喜一郎の供述記載に照して措信し難く、右岩淵証人の供述によれば警察官警察吏員等が工場正門に到着して殆ど同時に被告人等の検挙が開始されそれに先だつて被告人等に於いて警察官等に対し何等積極的な抵抗を試みたことはなかつたことを肯認しうる原審第十四回公判調書中証人加藤泰正の供述として、自動車で警察官が来てから検挙までに二十分か二十五分かかつた旨の供述は輙く信をおき難い)もとより関係被告人等が工場正門前にスクラムを組み労働歌を高唱する行為が右公務執行に対する一つの障碍となつたかも知れないが右行為自体は警官に対する積極的暴行とは云えないし、又それが当時の情勢に照し数十名の武装警官に対する脅迫となるとは解し難い。要するにこの点に関する本件公訴事実はその証明十分ならざるものと謂わねばならない。

以上によつて本件公訴事実中建造物侵入、業務妨害の一部窃盜の一部及び公務執行妨害の点は、何れも無罪であるがその余の事実は前記判示の通り証明十分であるから、これを法律に照すと、被告人山崎太市、同藤井正二、同広井芳蔵、同石坂周吉の判示第一の所為は各刑法第六十条、第二百三十五条に、被告人米岡宗次を除く爾余の被告人の判示第二の所為のうち業務妨害の点は各刑法第二百三十四条、第二百三十三条多衆の威力を示して脅迫を為した点は各暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項刑法第二百二十二条にそれぞれ該当し右業務妨害と暴力行為等処罰に関する法律違反の行為とは一個の行為で二個の罪名に該るから刑法第五十四条第一項前段第十条に則り重い業務妨害罪の刑に従い、被告人山崎太市、同藤井正二、同広井芳蔵、同石坂周吉の判示第一と第二の各行為は同法第四十五条前段の併合罪であるから業務妨害罪につき懲役刑を選択した上同法第四十七条但書第十条を適用し重い窃盜罪につき定められた刑に法定の加重を為し、各所定刑期の範囲内に於いて、被告人山崎太市、同水口平、同川上蕭を各懲役五月、被告人佐藤栄作、同藤井正二、同広井芳蔵、同石坂周吉を各懲役四月、被告人吉田常世、同福原一三、同星野郁五郎、同原豊吉、同野上松三郎、同小林二三男を各懲役三月、被告人牧口直栄、同小西志郎、同伊藤佐一郎、同佐藤孝平、同畑政二、同斎藤初太郎を各懲役二月に処し、前記の如く情状いずれも刑の執行を猶予するを相当と認め、各刑法第二十五条に則り、被告人山崎太市、水口平、川上蕭、佐藤栄作、藤井正二、広井芳蔵及び石坂に対しては、此の裁判確定の日から、いずれも二年間その余の前記被告人等に対しては、此の裁判確定の日からいずれも一年間それぞれ右刑の執行を猶予し、訴訟費用のうち主文掲記の部分にかぎり刑事訴訟法施行法第二条、旧刑事訴訟法第二百三十七条第一項、第二百三十八条に従い、被告人山崎太市、水口平、川上蕭、佐藤栄作、吉田常世、福原一三、藤井正二、星野郁五郎、原豊吉、野上松三郎、小林二三男、藤井芳蔵並びに石坂周吉をして連帯して負担せしめることとする。

本件公訴事実のうち、被告人米岡宗次に対する公訴事実の全部すなわち建造物侵入、業務妨害(昭和二十三年五月三日仮処分執行前のもの)及び窃盜(昭和二十三年七月十六日附公判請求書記載第二、第三の事実)は前段説明の通りいずれも罪とならず、同佐藤重夫に対する暴力行為等処罰に関する法律違反、業務妨害(前記仮処分執行後のもの)並びに公務執行妨害は、いずれも犯罪の証明なく、また同羽吹昭三に対する建造物侵入及び業務妨害(前記仮処分執行後のもの)はいずれも罪とならず、暴力行為等処罰に関する法律違反業務妨害(仮処分執行後のもの)公務執行妨害はいずれも犯罪の証明がないから刑事訴訟法施行法第二条旧刑事訴訟法第三百六十二条に則り右三名に対し各無罪を言渡し、その余の被告人に対する公訴事実のうち、前段説示によつて明かとなつた無罪事実については公務執行妨害の点を除き関係被告人等に対し右同法条に従いこの点につき主文の通り無罪を言渡し、公務執行妨害の点についてはこれが判示第二の業務妨害、暴力行為等処罰に関する法律違反の点と共に一個の行為で数個の罪名に触れるものとして公訴の提起があつたものと認められるから、特に主文に於て無罪の言渡をしない。

以上の理由によつて、主文の通り判決する次第である。

(裁判長判事 佐伯顯二 判事 久礼田益喜 判事 正田満三郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例